正宗白鳥
※ステータスは初期値と()内に最大値を記入予定No.47 正宗白鳥 | |||
CV:寺島拓篤 | レア | 金 | |
派閥 | なし | ||
武器 | 弓 | ||
精神 | やや安定 | ||
ステータス | |||
攻撃 | 119(446) | 防御 | 97(354) |
回避 | 95(335) | 技術 | 45(165) |
天才 | 41(161) | 美 | 40(160) |
主題 | 40(160) | 真実 | 50(170) |
彼によると「生きる意味などない」らしいのだが戦闘においては生き残ることを至上命題とする。
批評家としても知られており、彼の皮肉の効いた辛口な批評は他の文豪からも一目置かれていた。
無神論者だが、心の何処かで救いを求めているところがあるようだ。
有碍書 | 文豪 | 発生 | |
に「蒲団」 | 田山花袋 | 戦闘前 | |
※2017/8月イベント「正宗白鳥に関する研究」で
招魂の栞を使用することで入手可
現在は入手不可
洋墨 | 時間 |
400 | 3:03:00 |
◆レシピ一覧はこちら
1879年3月3日-1962年10月28日
本名は正宗忠夫(ただお)。
江戸時代の正宗家は代々網元であり、高祖父の雅明の代までは材木商も営んだ財産家であった。
東京専門学校(後の早稲田大学)在学中にキリスト教の洗礼を受ける。
史学科、英語科に在籍し、1901年に文学科を卒業。
早大出版部を経て読売新聞社に入社。
1904年に処女作『寂寞』を発表。
1907年に退社し本格的に作家活動を始める。
1908年、日露戦争後の青年像を描いた『何処へ』を発表。彼の代表作となる。
昭和期には活動の主点を評論に置くようになる。
1935年、島崎藤村、徳田秋声らと日本ペンクラブを設立。
1962年膵臓癌による衰弱のため死去。
※参考資料
https://ja.wikipedia.org/wiki/正宗白鳥
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